お化粧(外装)はすっかり欧米風にキメてあるのに“眼“が裏切っているのである。
どこか、デッサンが狂ってるんじゃない?こちらがそう思って見つめていると、家のほうも「私、ほんとうは和製住宅なの」と申し訳なさそうな表情を見せたりする。
そう。
欧米のほんものの洋館の窓は「縦長」が基本なのに、この手の住宅の窓は「横長」なのである。
の洋風住宅は、肌のメイクはあちら風なのに“眼“だけが「横長」の純和風。
なんか変だなあ…?と見えるのにはそんなワケがある。
さて、このツーバイフォー住宅の壁に窓をつくるとき、四角い風穴の上部に太い水平材が架けられる。
“マグサ“と呼ばれる横木である。
このマグサ、漢字で書くと「?」。
どうです?窓の真上にわたされた木材が「木へん」に「眉」。
木でつくられた眉。
眉毛の下にある“窓“は、やっぱり住宅の“眼“だったのである。
建築家のKさんは、組稲造の西欧建築は〈そもそも、いかに大きな開口部をとるかが建築であった〉。
また、日本の柱と梁の軸組工法では〈いかに構造体と構造体の間をふさぐか、それが建築であった〉といっている。
西欧では開口、日本では閉が建築上の大モンダイだったというワケである(K「住宅の逆説/匠編」)。
ぼくが初めて家を建てたときの話をしよう。
ぼくらの家はいわゆる「輸入住宅」である。
アメリカのワシントン州タコマからコンテナ船に乗って遥々と海を渡ってきたツーバイフォー住宅。
もちろん、完成品が運ばれてきたワケではない。
2×4インチやインチの材木、4×8フィートの構造用合板、大量の釘、屋根材、キッチンのセットに暖炉と繍突の部品。
それら山のような部材を使い、英語のマニュアルを片バー(材木)と構造用合板を主要な材として使う「箱」栂造の住宅。
いわゆる「ツーバイフォーエ法」は通称で、アメリカでの正式名称は「プラットフォームプレームコンストラクション」という。
一九七四年、日本に上陸してからは「枠組壁工法」なる和名がつけられた。
アメリカでは、最近になって、さらに重厚感がある2インチ×6インチの「ツーバイシックス」住宅が普及しはじめている。
「白はぜったいダメだ。
すぐに汚れちまう!」頑固なのである。
ワシの職人気質が、家の外壁に白ペンキを塗るなんちゅう暴挙をぜったいに許すものか。
「何色ならいいんです?」そう聞いたらオジサンは手近にあった板切れにさっと一刷毛ペンキを塗ってぼくらに見せた。
濁った黄土色である。
小学校の図画の時間、木造校舎を写生したときに、壁の羽目板を塗るのに好んで選ばれた色だ。
「それは、ちょっと…」と渋ったら、今度は別の板切れに暗褐色のペンキをまたも一刷毛。
今度は校庭のクスノキの幹の色だ…。
オジサンは、要するに、恐れ多くもかしこくも、木でできた材には木の色を塗れ’といいたいワケである。
「白、でお願いしたいんですがね」ぼくらもしつこく言い張った。
だいたい、この家に住むのもペンキ代を払うのもオレたちじゃないか、とまではいわなかったが、さんざん手こずったあげく、やっとの思いで白いペンキを塗っていただいたのである。
塗装工事が終わると、近所の人たちが目を丸くして見物にやってきた。
手に、電動工具と金づちを持って、Y子とぼくが大工さんといっしょに小さな”白い家“を建てたのは二十年ほど前のことである。
延床面積三十坪のそのコテージは、木製サイディングを白いペンキで仕上げてあるのだが、この外壁の色を決めるとき、ぼくらはペンキ屋のオジサンと大ゲンカした。
「白はぜったいにダメ!」とオジサンは言い張るのである。
白はすぐに汚れる。
せっかくの木目が死んじまう。
そんなこといわれたって、合板のサイディングに木目もクソもあるものか。
だいいち、こっちは進駐軍世代だ。
一九四○年代、敗戦直後のヨコハマベースキャンプ。
子守歌のかわりにFEN放送のディスクジョッキーを聴いて育ち、日本人立入禁止の金網の向こう、鮮やかな緑の芝生の上に建つ真っ白い米軍ハウスのイメージが強烈に脳裏に焼き付いているんだから。
軒の深い屋根の下、暗い土壁に囲まれて、ジメッとした畳の上のちゃぶ台で飯を食っていた少年としては、白いタイルのキッチンと眩いばかりの白い家は文明の象徴だった。
ペンキ屋のオジサンにそう言ったら、彼は国賊でも見たかのように、「思い切ったことをしたもんだ」「ホワイトハウスの真似だんべ」どうも、評判がかんばしくない。
「この汚れ方がねえ、一年後にはどうなるのか…」と、なんだか嬉しそうに壁を見上げる人もいた。
一九七九年の話である。
ところで、こんな体験はぼくらだけかと思ったらそうではなかったようだ。
取材で“白い家“に出くわすたびに聞いてみたのだが、実に、二軒に一軒の割合でその家のオーナーたちが「いやあ、うちもペンキ屋さんには手を焼きました…」。
白という色はいちばん汚れやすい色だ。
雨、風、日光、それに土挨にさらされる外壁を白なんかで塗るもんじゃない。
これがどうやら、ペンキ屋のオジサンをはじめ現場の職人さんおよび近所の人たちの常識だったようなのである。
しかし、時は流れ、星は巡って、八年後…一九八七年の〈住宅金融公庫〉の全国調査では、新築住宅の外壁の、なんと六十六パーセントが〈白色系〉だということがわかったのだ。
わずかの間にも、世の中の常識は大きく変わるものなのである。
白は汚れない、あるいは、たとえ汚れても白い壁が良いもんね、と考える人がいつのまにか多数派になっていたのだ。
みんな思い出したのだ。
壁が汚れるのは、なにも“白“という色のせいじゃない。
白は無罪だ。
潔白だ。
古民家の白漆喰の壁を引き合いに出すまでもない。
白い壁は、なんていうか、清潔に汚れていくのだ。
風に吹かれ、日を浴び、土挨をかぶって、雨に洗われ、ぼくらの白い家の白い壁はやっぱり今日も白いのである。
これからたびたび登場することになる家族をここで紹介しておこう。
Y子…ぼくのパートナー。
フリーランスライターの「Y子。ながい。むらせ」のこと。
一九四七年生まれの団塊の世代。
生活の上での伴侶であり、仕事の相棒であり、文字どおりのパートナー。
共同経営者である。
タブテ、上の息子。
一九七○年生まれのフラワーチルドレン。
ハテナ…不思識と書く(逆子だったのでY子の胎内で「?」な恰好で浮かんでいた)。
下の息子。
一九七六年生まれの口ツクンローラーであるペンキで塗られ、網戸が付いた勝手口からピヵピカに輝くタイルのキッチンと角が丸い大きな電気冷蔵庫が見えた。
芝生の緑がまぶしかった。
PXの白い壁が、大きな横書きの飾り文字が、なにやら楽しげなショーウィンドウがまぶしかった。
サングラスにショートパンッの金髪女性の大モモがまぶしかった。
一九五○年代後半。
アメリカ製テレビ映画が茶の間を賑わせた。
「パパは何でも知っている」「うちのママは世界一」『アイラブルーシー」。
舞台となったアメリカの住宅のディテールが当時の子どもたちの胸に刻みこまれた。
劇場ではJD。
「理由なき反抗」のティーンエイジャーたちは、断崖絶壁にクルマを突っ込ませるゲームに命を賭けていた。
一九八○年代半ば、新興住宅地にシャープな直線の切妻屋根の家が続々と建てはじめられた。
当時の子どもたち、団塊の世代のパパやママたちが巣作りを始めたのだ。
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